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「人体の不思議展」批判 まとめ


人体の不思議展」批判 [The Mystery of "THE MYSTERIES OF THE HUMAN BODY"]



2008年のある日、青森県立美術館で開催されていた、「人体の不思議展」へと足を運んだ。かつてはホルマリン漬けなどでしか実現しなかった、人間の標本化に、<扱いやすく、匂いもない>プラストミック法という方法で成功した、という。模型ではなく「本物」の人体標本である、というのがこの展示の最大のウリである。平たく云えば、死体を色々な角度でカットして、プラスティックで固めたものだ。触ると、確かにひんやりというか、凹凸のないつるつるとしたプラスティックの感触であった。


端的に云って、この展示を見にでかけた人の心の裡(うち)は、殆どが見世物小屋を見に行くような好奇心であったのではないだろうか。かく云う私もその一人。「おそろしいけど見てみたい」という気持ちであった。低俗な興味と云われればそれまでであるが、なんといっても相手は「本物」の人体なのだ。医学や解剖学に携わらない限り、一生見られないものなのだから、その心性も已むなかろう。


その「低俗な」興味と、「知的な」好奇心は画し難いが、少なくとも私は現在中学生に、理科II分野「人体」を教えている身である。この展示が謳っているところの、<人体の神秘に驚き、健康の大切さを再認識する>という「立派な」意義を生かしたかったのも事実なのである。ところが、予想に違い、展示自体がやや「低俗」なものであったことは否めない。


批判その1。人体の神秘に驚くというのがコンセプトであれば、この展示はその名に値しない。たとえば子供が見て教育的効果を得るとすれば、小腸の絨毛は、その襞(ひだ)を広げていくとテニスコート1面分(約250平方メートル)に相当し、効率的に栄養分を吸収することができる、というような知識である。それが手に取るように分かるように展示されている、というようなつくりであればそれは「人体の神秘におどろく」というコンセプトに合致しもしよう。私は、そのような教育的展示を予想していたのである。しかし実際は、人体に関する知識を書いたパネルが十数枚壁にかかってにいるだけ。しかも、展示との脈絡もあまりない。<驚き>があるとすれば、人体の切り方のバリエーション。その執念に驚く。これは批判その2にも繋がる。


批判その2。死者を冒涜している。重複する展示が多すぎる。これほど多くの標本は不要な筈だ。手足を何本も並べたり、同じ「切り方」をした遺体を並べる必要は全く感じられない。ショッキングな効果を狙ったものとしか考えられないのだ。また、弓矢を持っている標本や、バレリーナの様なポーズをとっている遺体もある。死後、筋肉が収縮、伸張することは考えられないから、筋肉の動きを見せる、というのでもない全く意味のない行為である。献体は、死者の同意を得ているとはリーフレットに書いてあるが、果たしてその様なポーズをとることまで承諾を得ているのか。気分が悪くなった。


批判その3。もうひとつのコンセプト「健康の大切さ」について。やや紋切り型ではあろうが、そう謳っている限りは、例えば病気の臓器と健康な臓器の比較があり、どういった生活習慣がそのような結果をもたらしたのか、という説明があって初めてそれを、人々に深く実感させることができるのではないか。ショーケースに肺をごろりと並べて、「喫煙肺」とかかれたプレートを置く、だけでは不足である。しかも、病気の臓器の展示はいかにも少ない。見世物小屋であることを糊塗するエクスキュースではないか、と思われても無理はなかろう。そうであれば、あまりに下衆の考えることである。


あとから調べて分かったことが幾つかある。展示されている人体標本は、全て中国人だそうだ。日本人の死体を使うことは、
「死体解剖保存法」と「医学及び歯学の教育のための献体に関する法律」との制約によって実質的に不可能(「人体の不思議展」に疑問を持つ会)
なのだそうである。外国から死体を「輸入」しているのだとすれば、国際的な取り決めやそれを監視する機関があるとは思われないから、「同意を得た献体である」という主催者の自己申告も怪しくなってくる。一部で噂されているように、金銭の授受、死体の売買が行われていたとしても、我々にはそれを知る術はないのだ。
また、「人体の不思議展」公式サイトを見てほしい。開催概要のリンクをたどると、下に小さく「マクローズ」という社名が見える筈だ。この展示の主催者らしい。東京展だけで一億円の利益をあげた企画会社でありながら、独自HPさえないというのは怪しすぎる。主催者側の所在地、責任者、開催意図や挨拶といったものが、普通はすぐにアクセスできるところにあるだろう。「人体の不思議展」自体が不思議なのだ。


最後に。手元にある、この展示の割引チケットをみると、東奥日報創刊120周年、青森放送創立50周年記念事業であり、「青森県/青森市/弘前大学/青森県教育委員会/青森市教育委員会/青森県立保健大学/…」といった錚々たる後援者の名が並ぶ。後ろ暗いからこそ権威にすがるのではないのか。すがられている権威の側も、すがっているものの出自を分かっているのか。


自戒を込めて筆を置く。




続・「人体の不思議展」批判 [The Mystery of "THE MYSTERIES OF THE HUMAN BODY" Part II]


(2011.2.12)以前の記事でも触れたが、「人体の不思議展」は、学術の名に値せず、悪趣味な見世物である。また、それにも関わらず、「健康の大切さを知るために」などと奇麗事で糊塗しているのは低劣の極みである。
そんな中、とうとう警察も動き出し、京都府警が告発状を正式に受理した。


展示物は「標本」でなく「遺体」にあたる、という厚生労働省見解により、死体解剖保存法に抵触する恐れが出てきたためだ。そのような技術的、法律的な問題はさておき、それを突き動かしたものはやはり「この展示はなにやらおかしい」という市井の人の常識だと思う。これを機に、死体を入手したルート(中国の「工場」)や主催団体の正体が明らかにされることを望む。現在の京都展をもって、「人体の不思議展」は「最終公開」なのだという。このタイミングで!?アヤシすぎませんか?


改めて、無批判に展示に出かけてしまった自分は反省しなければならない。当然、東奥日報や教育委員会もだ。