英進塾_先生ブログ

英進塾の講師によるブログです

常世の神 [ A CULT ]


フランス語で「歴史」はHistoire[イストワール]である。この語は、「歴史」と同時に「物語」という意味も持っている。英語のhistoryとstoryも、その形がよく似ていることから、語源が同一であることがわかる。「歴史=物語」という認識が、人類には古くからはっきりとあることが分かる。



「去りゆく一切は比喩にすぎない」(オズワルト・シュペングラー)



「事実」を積み重ねた総体が「歴史」になるのではない。時間的には「現在」から見て、場所的には「日本」から見て、意味をなす+都合が良い+役に立つピースを繋ぎ合わせたのが「歴史=物語」である。去りゆく一切は、現在にとっての比喩に過ぎず、現在を見る際の教訓を引き出すための経験としてできあがるものだ。


「正しい」歴史など、どこにもない。あるいはこうも言える。正義(正しい歴史)がないことが問題なのではない、正義がたくさんあることが問題なのだ、と。実際、日本には日本の、韓国には韓国の、中国にはまた中国の歴史があり、どれが間違っているとは言えない。各国には固有のストーリーがあり、アイデンティティがある。


だからと言って対話を放棄するのは悪しき歴史相対主義であるが。




最近、領土問題や歴史認識などで隣国と揉め事が絶えずうんざりさせられるが、こんなときこそ先人の経験を学びたい。今は古代からの歴史を見直すために、中央公論社の「日本の歴史」シリーズを読んでいる。あまり堅くなりすぎない文体で、様々なアネクドートとともに歴史のおさらいを楽しみながらすることができている。



時は大化の改新の直前、渡来人−帰化人の外来テクノロジーと文物をもって輝いていた三世代、蘇我馬子−入鹿−蝦夷の支配を覆すべく、中大兄皇子中臣鎌足がクーデターを企てていた頃、東国農民の生産力は鉄製農具の普及も手伝って飛躍的な向上を見せていた。力をつけてきた農民は、各地で国造に対し反乱を起こすようになってきた。



さて、その反乱のなかに、ずいぶんとエキセントリックなものがあったので紹介する。日本書紀にも記述のある、「常世の神(とこよのかみ)」という宗教的集団である。この宗教が祀ったのは、虫。長さ4寸余りの蚕に似た、親指大の芋虫に緑の斑(まだら)がある虫である。東国は駿河の国、富士川のあたりで、大生部多(おおふべのおほ)という男が扇動者=教祖であった。常世の神は絹織物(富)をもたらすとはいえ、芋虫的なものが信仰対象になるのがいかにもカルト的エキセントリックさを感じさせる。これを討伐したのは、聖徳太子のブレーンとも言われる、渡来人秦造河勝(はだのみやつこかわかつ)であった。その報告書によると、大生部多らの信仰は虫を戴いた祭壇を囲んで男女が宴をし、富を得るために自らの富や家を寄進、廃棄するという過激なポトラッチ行為に走るものもあった、という。



これは1400年余り前の事例であるが、現在カルトと呼ばれる宗教が多くあるなか、例えばスキャンダラスに語られたオウム真理教の内部状況と、実に共通点も多い。歴史という物語、人類の経験から学びつつ、現在にむけて歴史を読み進めている。





ゆとり教育への決別を主眼とする新指導要領導入により、
教科書が改訂されました。総とっかえの英語と国語は構えていたのですが、
移行措置によって変更箇所が分かっていた理科は油断していました。


移行措置以外にも変更のある箇所がちらほら。。。
一部ですがご紹介します。

まずは中1理科、裸子植物の「やく」が「花粉のう」へ名称が変更されています。
文部科学省の検定意見により、実情によりあった用語に替わった模様です。


また、中2理科、「脂肪は、脂肪酸とグリセリンに分解される」という点が、
「脂肪酸とモノグリセリドに分解される」となっています。これは近年の研究を
反映したものです。脂肪は、グリセリンに3つの脂肪酸がついた形です(=トリグリセリド)。
消化酵素によりこれが切り離されていくのですが…。



上の図のように、分解は「モノグリセリド」までしか進まない、ということが最近の研究で
分かっています。そのまま反応を見守れば、確かに最後の脂肪酸が切り離され、「グリセリン」
になるのでしょうが、その前に脂肪が再合成されるのだそうです。


さらに中3理科、これまで「分解者」といえば教科書定義では「菌類と細菌類」を指していましたが、
これにいままでは「消費者」のカテゴリーに分類されていたミミズやトビムシなどの土壌動物も含む
ことになっています。


教科書は隈なくチェックしなければ…